ホグワーツ魔法魔術学校に入学することが決まった私には、やらなければならないことがあった。ホグワーツに行く生徒なら、誰もが通る道――ロンドンにあるダイアゴン横丁に行って、必要な道具を買い揃えることだ。
ダンブルドア先生は私と一緒に行くことを希望したが、校長自らが出向いては明らかに目立ってしまう。どういうわけか言語の読み書き喋りは不自由なくできてるみたいだし、縮み薬で11歳の体になったと言えど中身はもう18歳なのだから、一人で買い物くらいはできるだろう。そう考え、先生の申し出は丁寧に断っておいた。
「聞きました? ハリー・ポッターがホグワーツに入学するそうですよ」
「ああ、もうそんな歳になったのか。月日が経つのは早いもんだ」
「ディーダラス・ディグルが自慢していたよ。握手をしてもらったって」
「私もちょうどその時漏れ鍋にいたんですがね、とても礼儀正しい男の子でしたよ……」
ダイアゴン横丁では、そんな話があちこちで繰り広げられていた。どこへ行っても、先日買い物に来たらしいハリー・ポッターの話題でもちきりだ。マダムマルキンの洋装店では、愛想のいいずんぐりした魔女がハリーの丈合わせをしたのは自分だと自慢していて、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店では何やら夢中になる本があったみたいだと店主が話していて、鍋屋では『ハリー・ポッターが購入した秤』という広告を見掛けた。
唯一、ハリーのハの字も出さなかったのは、オリバンダーの店だけだった。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、柔らかい声が私を出迎えてくれた。薄明かりの中で、月のように輝く銀色の目をした老人が立っている。
「ようこそ、オリバンダーの店へ。ここでは強力な魔力を持った物を芯に使っております。一角獣のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線……一角獣も、ドラゴンも、不死鳥も皆それぞれに違うのじゃから、オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はありません」
その声色は優しく、それでいて誇らしげで、杖の一つ一つを愛しているのがひしひしと伝わってきた。
「お嬢さんの杖腕はどちらかね?」
「右です」
「では、そちらの腕を」
オリバンダーさんに促されるまま、私は右腕をピンと伸ばす。彼の持つ巻尺が勝手に動き出し、肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から腋の下、頭の周りと、体のあちこちの寸法を採っていった。
「さてさて、お嬢さんに合う杖は――」
そう言いながらオリバンダーさんが杖を持ってくると、巻尺はくしゃくしゃに丸まり、床の上に落ちた。
「楓にドラゴンの心臓の琴線。29センチ、ややしなる。さあ、振ってごらんなさい」
ハリー・ポッターの世界に来たら一度はやってみたい杖選び。それを今、本物の魔法界で体験できるなんて、夢のような時間だった。
ドキドキしながら杖を手に取り、軽やかに振ってみる。
「駄目だ駄目だ」
何か起こるのを確認する間もなく、杖はオリバンダーさんにもぎ取られた。
「次、ナシに一角獣のたてがみ。24センチ、良質で頑丈」
次に差し出された杖は、振る暇すら与えられなかった。いったいこれで何が分かるのか私にはさっぱり理解出来ないが、きっと杖職人の観察眼というものがあるのだろう。
「サクラ、ドラゴンの心臓の琴線。21センチ、よく曲がる。これはどうかね?」
「マホウトコロではこの杖を持ってたら尊敬されるんですよね」
「いかにも。じゃが……」
杖を持ってみたが、オリバンダーさんは納得のいかない顔をしている。
「ふむ……ではこれはどうだろう。黒檀、一角獣のたてがみ。33cm、しなりにくい」
真っ直ぐで美しい漆黒が印象的なその杖を受け取った途端、急に指先が暖かくなり、全身に力がみなぎった。明らかに、これまでの杖とは反応が違う。振ってみると、杖先の軌道を描くように緑と銀の線が空中に織り成されていった。
――何これ、すごく楽しい。
杖職人でなくても分かる。これは『私』の杖だ。
嬉しくてつい、自分の名前を書いてしまった。二色の線で書かれた名前は、するすると杖先に戻っていく。
「素晴らしい! これでその杖はお嬢さんとの繋がりをより強くした」
私の杖を箱に入れると、茶色の紙で包みながらオリバンダーさんは子どものように瞳を輝かせて言った。名前を書くと繋がりが強くなるなんて、初耳だ。
「名を刻むことは契約を結ぶこと――むろん、ただ書けばいいというものではないが、少なくとも、お嬢さんは正しいタイミングでそれを描き、杖もそれを認めた……一角獣のたてがみは他の芯に比べて、一番初めの所有者を強く求めます。この杖はきっと、お嬢さんを助けてくれますよ」
ただ調子に乗ってやったことだったけど、どうやらそれがうまい方向に転がってくれたらしい。自分を選んでくれたというだけでも愛着が湧くのに、そんなことを言われたらますます気持ちが強くなる。
「ありがとう、オリバンダーさん。この杖、大切にしますね」
ヴォルデモートが復活すれば、魔法界は厳しい時代を迎える。その時、この杖があれば大丈夫と思えるくらい、オリバンダーさんの言葉には力があった。
世界に一つの、私だけの杖。それが入った箱を胸に抱えて、私はオリバンダーの店をあとにした。