寂寞


  ホグワーツはもう、安全な場所ではない。

 ジャスティンとほとんど首無しニックが石になったことで城内では前代未聞のパニックが起こり、先生や生徒を包み込む雰囲気はピリピリしていた。元々クリスマス休暇でホグワーツに残る生徒は少なかったけど、一度に二人が襲われたこと、既に死んでいるゴーストが石化したことが決定打となり、ホグワーツ特急には帰省希望の予約が殺到している。去年みたいに煌びやかなクリスマスの飾り付けが施されても、それを楽しむ余裕なんて生徒達にはなかった。もちろん、私だってそうだ。いくら秘密の部屋の怪物の正体を知っていても、今のホグワーツでは慎重にならざるを得ない。頭に入っているのは原作に書かれていたことだけで、原作外で起きるであろうバジリスクの行動なんて全て把握しているわけではないのだ。ホグワーツでの生活が日常となった今、配管を動き回るバジリスクと遭遇する可能性は私にもある――おかげで、廊下に出た時は足下を見て歩く癖がついてしまった。

「ハリー?」

 視線は床へ、ゆっくりと角を左に曲がってからは安全を確かめて顔を上げる。そんなことを繰り返しながらふくろう小屋に続く階段に向かう途中、見覚えのあるくしゃくしゃの黒髪を見掛けた。声を掛けると、げんなりしたハリーの顔がこちらを向く。

「やあ、ユズハ」

 心なしか、その表情は疲れているようにも見えた。

「もうすぐクリスマス休暇なのに、元気なさそうだね」
「あちこちで継承者扱いされたら、ユズハもきっとこうなるよ」

 ああ、と合点がいく。ただ蛇語を喋れるというだけで、たまたま石化の現場に居合わせただけで、今じゃハリーは腫れ物扱いだ。彼が継承者ではないと信じている者はほんのひと握りで、大半の生徒は怯えている。今朝なんか、ハリーがくしゃみをしただけでハッフルパフの1年生が泣き出した。こんな状況じゃ追い詰められる気持ちも分かるけど、身に覚えのない罪で疑われてあそこまで過敏に反応されては、うんざりするのも無理はないだろう。

「私からすれば、ハリーがスリザリンの継承者だなんてナンセンスな話だと思うけど……大体ハリーが本当に継承者なら、ハーマイオニーと友達になったりしないでしょ」
「みんながそう考えてくれたら簡単なんだけどね」

 その声色には、諦めの意が込められていた。
 いくらパーセルマウスが闇の魔法使いの印だと言われていても、普段の行いを見れば、ハリーがそうでないことは一目瞭然なのに……。血で人を分けているところなんて見たことがないし、闇の魔法に魅入られている様子もない。酷い扱いを受けていることでダーズリー家を憎みはしても、マグルをどうこうしようなんて思想をひけらかしてもいない。振る舞いのみで言えばドラコの方がよっぽどそれらしいが――蛇舌というのは私が考えるよりもずっと重要視されているみたいだ。

「ユズハは、本当の継承者が誰なのか知ってるんでしょ?」
「うん、知ってるよ。……教えることはできないけど」

 こういう時、本当なら知らないと答えた方が楽なのかもしれない。上手く誤魔化して逃げる方が、賢いのかもしれない。でも、都合が悪くなれば知らないフリをするなんて、そんな不誠実なことはしたくなかった。どうして教えてくれないんだと責めるような目を向けられたとしても、好き勝手に未来を知っていると公言した以上、私はそれを受け止めるべきなんだ。そうでなきゃ、この先一生逃げ続けることになる。

「ユズハなら、そう言うと思ってた」
「力になれなくてごめんね」

 謝罪の言葉を告げると、ハリーは眉尻を下げて少し困ったように笑った。笑っただけで、何も言わない。聞きたいことも吐き出したいこともたくさんあるけど、ぐっと口を閉ざして、それら全てを表に出さないようにしているようだった。「教えることはできない」という私の返答がハリーの言葉を飲み込ませてしまったのだろう。その後ろめたさのせいで私自身何も言えなくなり、二人の間に少しだけ気まずい雰囲気が流れる。
 と、その時。後方から、ヒソヒソと話す女の子達の声が聞こえてきた。振り向くと、女生徒が三人、こちらを見ながら顔を合わせて話し込んでいる姿が見える。内容までは聞こえてこないけど、恐怖に満ちた表情を見れば何を話しているかは想像がついた。

「ここ最近はいつもこうだよ」

 私達の視線に気付いて慌ただしく逃げて行く女生徒達の背中を見ながら、ハリーがぽつりと呟く。その声からは苛立ちが感じ取れたが、緑色の瞳だけは少し寂しげに揺れているのを私は見逃さなかった。

「……今年のクリスマス休暇はホグワーツに残る生徒も少ないし、きっと楽しく過ごせるよ」

 そんな気休め程度の言葉を残して、私はハリーと別れた。当初の目的通りふくろう小屋に向かいながら、クリスマス休暇について考える。完成したポリジュース薬でハリーとロンはクラッブとゴイルに変身すること、それでもドラコからは有益な情報を聞き出せないことなど、これからの出来事を頭の中で整理していきながら階段をのぼった。一瞬、猫の毛のことだけは言ってもいいんじゃないかという思いにも駆られたが、何がきっかけで未来が変わるか分からない以上、余計な動きは見せない方がいいだろう。少なくとも、セドリックの死が待ち構えている4年目まではこのままでいたい。

 改めて今後の事を考えながら、シオンに手紙を渡す。宛先はふくろう通信販売。セドリックから貰ったカタログのおかげで、今年のクリスマスプレゼントも無事に決まったのだ。

 みんなが喜んでくれますように。

 そんな事を願いながら、手紙を銜えて大空に飛び立つシオンの姿を見届けた。


 ***


「そこで私は杖を抜き、闇に光をもたらしました。正体不明の怪物に怖がる人々を安心させながら、辺りを注意深く観察します。どれくらい経ったのか……一分だったかもしれないし、十秒だったかもしれない。誰かがヒッと小さく悲鳴をもらし――」

 芝居じみた喋りと大きな身振り手振り。恐怖に包まれたホグワーツの中でも、ロックハート先生の舞台は変わらず幕を開けていた。
 正直、ロックハート先生の話は面白いと思う。人を惹きつける才能は天下一品だ。嘘だと分かっていても先生の武勇伝を聞くのは楽しかったし、綺麗にマントを翻す姿には何度か心を擽られた。頬を染める……とまではいかなくても、惚れ惚れしたのは事実である。しかし、この話を聞くのももう五度目。いくらロックハート先生が話し上手でも、飽きたというのが正直なところだった。小さく悲鳴をもらしたのはアリシア・バーンという魔女で正体不明の怪物はグラップホーン、ほとんどの呪文を跳ね返してしまう皮は避け角を狙ったなどなど、この先の展開は全て暗記している。最初は好奇心で聞いていた物語も今となっては刺激されず、睡魔がすぐそこまで来ている状態だ。
 それでも。例え興味がそそられない授業だとしても、他の生徒のように机に突っ伏して居眠りするのは気が引けた。 せめて真面目に授業を受けている姿を見せようと、目の前で披露される武勇伝を聞くふりしながら、頭の中では次の日曜日に開催されるスネイプ先生とのレッスンについて考えを巡らせる。

 ――まずは毎晩寝る前に心を落ち着かせ、感情を取り去る訓練をすることを勧める。

 スネイプ先生の助言通り、感情を取り去る訓練は毎日行っていた。アドバイスが抽象的過ぎてどうすればいいのかはよく分かってないけど、心を穏やかにして毎晩ベッドに入っていた。おかげで睡眠の質は上がったが、閉心術の習得には未だ希望を持てずにいる。本を読み漁っても、思い切ってスネイプ先生にコツを聞いてみても、これだというものが掴めない。毎週日曜日は黒歴史を晒してばかりだ。いつバジリスクに襲われるかも分からないような状況でレッスンを受けに行っていると言うのに、実りがないというのは何とも悲しい。向き不向きはあると思うけど、ここまで難航するとも思っていなかったので、自信はすっかり喪失していた。

「そうして私はグラップホーンの角を砕いたのです! 砕いた角は粉末状にしたあと、アリシア・バーンにお譲りしました。おっと、まだご存知でない方のためにも説明した方がいいでしょうね……グラップホーンの角は魔法薬の材料にもなるのです。獰猛な魔法生物故、採集はとても難しいのですが――」

 誇らしげな顔のロックハート先生から、通路を挟んで右隣に座るドラコへと視線を移す。同じ長椅子に座るクラッブとゴイルに話をしているその表情は、何やら深刻そうだった。
 ドラコが感情を取り去っているところなんて、私は見たことがない。大体いつも自慢げにしているかハリーに突っかかっているかの二つだ。もちろん、クラッブとゴイルにはもっと他の顔を見せているかもしれないが……少なくとも、私が知っている限りでは、ドラコの感情はいつも激しく揺れ動いていた。それでも彼が閉心術の才能を持っているのは原作を読めば明らかで、ハリーよりずっと早いスピードで習得したのは間違いないのだから、ドラコの振る舞いを見ていれば何かヒントを掴めるのだろうか?
 そう思ってしばらく観察していると、ドラコと目が合った。薄いグレーの瞳に、いつもの冷たさが宿る。

「スパイでもしているつもりか?」
「…………え?」

 何のことか分からなくて、反応が遅れた。スパイ、とは。……考えても、心当たりは見つからない。

「何かよからぬ事でも企んでるの?」
「……へえ。君でも知らないことはあるんだな」

 的外れな返答が余程面白かったのか、ドラコは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。それに合わせて、クラッブとゴイルもニヤニヤ笑っている。

「知らないなら何でもない。君には関係のない話だ」

 そう言うと、ドラコは私から目をそらし、再びクラッブとゴイルに何かを話し始めた。私に聞こえないよう細心の注意を払っているのか、さっきよりも密に顔を寄せて声のトーンも落としている。時々クラッブとゴイルから視線を送られているのを見ると、もしかしたら話題の中心は私なのかもしれない。十中八九、悪口だと思うけど。

 ――今年もドラコ達からプレゼントは貰えそうにないなぁ。

 去年のクリスマスを思い出して、気持ちが沈んだ。1年目はハリー・ポッターの世界に来られたことが嬉しくてあまり気にしていなかったが――

 同じ寮の子と距離が縮まらないって言うのはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、寂しさを覚える。



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