確かな感情


 次の日から、ホグワーツはミセス・ノリス襲撃事件の話でざわついていた。必要以上に騒ぎ立てないよう注意する先生もいたけど、それを聞く生徒なんてほとんどおらず、秘密の部屋とは何なのか、継承者の敵とはどういうことなのかと、あちこちで憶測が飛び交っている。「ホグワーツの歴史」に何か重要な事が書かれていないかと図書室に足を運ぶ生徒も増えたが、考えることはみんな一緒で、本は全て貸出状態となっているらしい。

「二週間は予約でいっぱいなんだって」

 就寝前。同室のエイブリーがガッカリした様子で話しているのが聞こえてきた。

「お父様が何か話していた記憶はあるんだけど……あーあ、こんな事ならちゃんと聞いとけばよかった。ねぇ、ベルは何か知らない?」
「さあ。そういう危険そうな情報は伏せられてきたから……」

 二人とも、秘密の部屋については何も知らないようだ。サラザール・スリザリンが残した秘密の部屋なんて、私からしたら好奇心が擽られる存在なのに……よっぽど知名度と信用度の低い、伝説級のお話なのだろう。

「秘密の部屋について、ドラコから凄い話を聞いちゃったわ!」

 エイブリーがああでもないこうでもないと記憶を手繰り寄せている途中、パーキンソンが嬉しそうな声を上げながら寝室に入ってきた。一緒にいる眠たそうなグリーングラスとは違って、彼女の目は爛々と輝いている。

「あんまり詳しい事までは教えてくれなかったんだけどね。どうやら、秘密の部屋ってサラザール・スリザリンが作ったみたいなの」
「サラザール・スリザリンって、あのサラザール・スリザリン?」
「他にどのサラザール・スリザリンがいるのよ」

 グリーングラスが真っ直ぐベッドに入っていくなか、パーキンソンはエイブリーとフィンフィールドに混じり、ドラコから聞いたであろう話を二人にも話していく。他の創設者には知られていない隠された部屋、秘密の部屋。その時点で怪しさ満点の噂であり普段なら聞き流されてもおかしくない話だが、ミセス・ノリスが石になった今、真実味は増してくる。いつもはこういった話題にも無関心そうなフィンフィールドでさえ、パーキンソンの話に耳を傾けていた。

 サラザール・スリザリンは、自分の真の継承者が現れる時まで何人もその部屋を開けることができないようにした。その継承者のみが秘密の部屋の封印を解き、その中の恐怖を解き放ち、それを用いてこの学校から魔法を学ぶに相応しくない者を追放する――パーキンソンの説明に、緊張感が走った。

「ちょっと待って。そんなものが本当にあったとしたら、大人達がとっくに見つけているはずでしょ? 恐怖の解放だなんて、そんな……」
「ベル。見つからないから『秘密の部屋』なんだよ。いくら凄腕の魔法使いや魔女がいたとしても、サラザールが本気で隠した部屋をそう簡単に発見出来ると思う?」
「なら、その『そう簡単に発見出来なかった部屋』が、今開かれたって言うの? 」

 一体誰が、と続くフィンフィールドの疑問に、グリーングラスが眠気まじりの声で答える。

「真の継承者が現れたってことだわ。偉大なるサラザール・スリザリンの、意志を継ぐ者が」

 寝室が沈黙に包まれた。本当にそんなものがいるのなら、これからホグワーツには大変な事が起きてしまう。恐怖を用いた、魔法を学ぶに相応しくない者の追放なんて……勿論、それが何を意味するのか、私は全て知っているけど。

 ベッドの中に潜り込みながら、私はジニーのことを考えていた。

 数日も経てば、ホグワーツの生徒のほとんどが秘密の部屋について知っている状態だった。ドラコが何日も自慢げに話してくれたおかげでスリザリン生は早い段階で情報を手に入れていたし、ハーマイオニーのように魔法史担当のビンズ先生に直接聞いた生徒もいるらしく、今は『誰がスリザリンの継承者なのか』という話が中心になっている。ミセス・ノリスが石になった現場にいたハリーが第一候補になっているようだけど、ドラコはそれが面白くないみたいだ。

「ポッターが継承者? 追放者の間違いだろう」

 魔法薬学の授業で大鍋の中身をかき混ぜながら、ドラコはクラッブとゴイルに不満をぶつけていた。当の二人は蜘蛛の死骸から脚を切り落とすのに必死でドラコの話なんて聞いてないようだけど、そんなのお構い無しらしい。教室の隅で同じく大鍋の中をかき混ぜている三人を見ながら、ドラコは話を続ける。

「穢れた血の友。そんな奴がスリザリンの継承者になれるわけがない。まともな魔法使いの感覚も持ち合わせていない奴が、粛清なんて出来ると思うか? 賭けてもいい。次はあの三人のうちの誰かが狙われるぞ」
「じゃあ、何を賭ける?」

 粛清とか狙われるとか、あまり気持ちの良くない話を遮るように声を掛けると、ドラコは眉を寄せて私を睨んだ。

「ああ、そうだ。君を候補に入れるのを忘れてたな。君も立派なグレンジャーのお仲間だ」
「なら私に賭けてもいいよ。そしたらドラコの負けだけど」
「生憎だが、そもそも未来を知ってる君に賭け事で勝とうと思っていない」

 賭けに乗ってきてくれたら、ここぞとばかりにラ・ヴィ・アン・ローズのチョコレートをねだるつもりでいたんだけど……。

「どうせ君は、誰が継承者かも知ってるんだろ?」
「まあね」
「なら賭け事なんてやってないで、お仲間がやられないうちにダンブルドアに報告でもしたらどうだ」
「やられても元に戻るから大丈夫だよ」

 そう答えると、ドラコの大鍋をかき混ぜる手が止まった。

「……君は」
「何?」
「…………いや、何でもない」
「え、何よ。気になるじゃん!」

 何度か聞き出そうとしてみたけど、ドラコはそれ以上何も言ってくれなかった。 課題の魔法薬に集中出来なかったのは、絶対にそのせいだ。

 本来なら緑色の液体になる筈だったのに、「君は」の続きが気になってハナハッカを入れ忘れた私の薬は、泥のように濁った茶色を示していた。


 ***


 ミセス・ノリスの事件であれだけ恐怖と緊張に包まれていたホグワーツも、グリフィンドール対スリザリンのクィディッチ試合が近付くにつれて、いつも通りの日常を取り戻しつつあった。そう、いつも通りだ。あちこちでグリフィンドールとスリザリンの生徒が小競り合いを起こすのも、しつこいくらいにニンバス2001の性能について自慢げに話す選手の姿も、毎日のように見られる光景である。

 そして私も、閉心術のレッスンに『いつも通り』苦戦していた。

「レジリメンス!」
「ぐっ……!」

 もう全ての記憶が暴かれているのでは、というくらい、スネイプ先生には心の内をさらけ出してしまっているような気がする。唯一、ハリー・ポッターの本や映画を観ようとしている記憶が開かれる時だけは見せたくない一心でささやかな抵抗も出来るんだけど、それ以外に進展は見られなかった。

「27回」
「え?」
「ミス・オリベが傘を広げ高所から飛び降りる記憶を見せられるのは、これで27回目だ」

 呆れたような声とやや馬鹿にしたような目。箒を使って飛べる魔法使いにとっては、理解出来ない行動だろう。

「小さい頃観たアニメの影響ですね。傘を広げて飛び降りたら、こう、ふわ〜っと着地が出来るんじゃないかなぁと思って」

 実際は、足首を捻るという軽傷を負ってしまったけれど。お気に入りだった花柄の傘はボロボロになっちゃったし、母親からはこっぴどく叱られたしで、私としては忘れ去りたい恥ずかしい記憶だ。

「感情を取り去る訓練は?」
「してます。毎日寝る前に」
「ならばやはり素質の問題か」

 一年目の成績はなかなか良かったし、そこまで悪くないと思うんだけど……閉心術のスペシャリストであるスネイプ先生が言うんだから、きっとそうなのだろう。自分からお願いした事なのに成長が見られないなんて、何だか情けなくなってくる。

「あのー……こういうのって、コツとかないんでしょうか」
「それを聞いて、活かせる自信があるとでも?」
「根性で頑張ります!」
「そんなものが役に立つと思っているうちはどうにもならん」

 また呆れさせてしまった。どうやら根性と閉心術は相性が悪いらしい。まあ、心を落ち着かせなきゃいけない術だしね。根性でメラメラ燃える心じゃ、防げるものも防げなくなっちゃうか。

 結局この日も閉心術習得には至らず、私はヘトヘトの状態でスリザリンの寮に戻った。地下牢でニンバス2001を見せびらかすように持って歩くスリザリンの選手達と擦れ違ったけど、これから練習に行くのだろうか。先頭を歩くキャプテンのフリントの隣には、まだ2年生のドラコが堂々とした姿で立っている。

 そう言えば、ドラコには閉心術の才能があったんだっけ。ベラトリックスに教えられて6年生の時に習得してたみたいだけど、一体どうやって身に付けたんだろう。あの時点では既に切羽詰まった状況だったし、やっぱり命懸けということが効いたのかな。

 だとしたら、私も――

 流石に命を落とすかもしれない状況なんて作れないけど、一番知られたくない『ハリー・ポッターは本の世界』という事実を懸けたら、習得出来る可能性は高くなるのではないか。実際、その記憶を覗かれそうになった時が唯一抵抗出来る瞬間だ。何が何でも隠し通さなきゃいけないという強い意思が働いてくれる。スネイプ先生の言葉を守るなら感情を取り去ることを優先しなくちゃいけないのかもしれないけど、それが無理なら別のアプローチを試してもいいかもしれない。

「でもなぁ……」

 気掛かりは、失敗した時のリスクが大きすぎることだ。スネイプ先生なら誰彼構わず言いふらすなんてことしないと思うけど、未来予知のからくりを第三者に知られるのは避けたい。余計な混乱は招きたくない。

 自分を追い込むか、それともこのまま地道にレッスンを受け続けるか。どちらの手段を選択すべきか考えながら合言葉を口にし談話室に入ると、ブロンドと黒髪の男子生徒二人が私に近付いてきた。

「よお、オリベ。ちょっといいか?」

 彼らは以前、自分達のことは棚に上げてパーキンソンを『ドラコの彼女気取り』と嘲笑っていた少年だ。何かを企んでいるようなニヤニヤとした顔が物凄く不快である。

「お前、ポッターの未来が分かるんだろ? なら、次の土曜日のスリザリン対グリフィンドールの試合結果も当然知ってるよな」
「俺達今、どっちが勝つかで賭けをしてるんだけど……あいつらみんなスリザリンって言うから賭けが成立しないんだよ」

 そう言うと、黒髪の少年が談話室の隅に視線を向ける。普段ドラコを持て囃している取り巻き連中が、同じくニヤニヤした顔でこちらをうかがっているのが見えた。まったく。ドラコと言い彼らと言い、どうしてみんなすぐに賭けを持ち出すのだろう。

「成立しないなら諦めたら?」
「それじゃ面白くないだろ」

 ブロンドの少年が、勢い良く肩を組んできた。

「万が一、億が一でもグリフィンドールが勝つなら、俺とコイツはそっちに賭けようかなって。ただ、スリザリンはみんなニンバス2001で挑むし、これだって言う後押しが欲しくてさ。未来予知が出来るオリベのお墨付きさえあれば、思い切って賭けられるんだよ。勿論、協力してくれたらお礼はたっぷりするぜ」

 いつもは気持ち悪いくらいにドラコを褒めちぎっている彼らだが、結局は誰も本人の力を認めていないようだ。選手達の実力ではなく箒の性能で勝負の行く末を想像し、美味しい思いが出来たらラッキーの気持ちでグリフィンドールの勝利も選択に入れる。心の底からドラコの活躍とスリザリンの勝利を願っているパーキンソンとは違って、自分達の得になる事を重要視する。……別にそれが悪い事とは思わないけど、こんな行動に出る彼らがパーキンソンを馬鹿にしたのは、やっぱり許せない。

「結構よ」

 肩に巻かれた腕を払いのけ、ピシャリと言う。

「未来予知はそういう事に使うものじゃないもの。大体、私が『グリフィンドールが勝つ』なんて言えば、向こうのお友達もグリフィンドールに賭けるんじゃないの?」
「あいつらはお前のその能力信じてないみたいだからいいんだよ」
「ぶっちゃけ俺らも、確証は持ててないしな。ただ、そうだったら面白いなーって思ってさ」
「そう。ならお友達に伝えて――クィディッチの試合で、ハリーの腕は骨抜きにされちゃうって」

 骨抜き。それが何の意味を指すのか分からない二人は、互いに顔を見合わせてキョトンとしていた。その隙をついて、私は足早に寝室へと向かう。まだ就寝時間にはなっていないし誰もいないと思って勢いよく扉を開けると、中には既にパーキンソンとグリーングラスがいた。

「ちょっと、入ってくるならもっと静かにしなさいよ! びっくりして手元が狂ったじゃない」

 そう言いながら、パーキンソンは手鏡を覗き込む。一方のグリーングラスは気にも留めていないのか、チェストの上に広がっている様々なコスメ用品を幸せそうに眺めていた。

「……ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」

 無視される可能性も考えたけど、思い切って聞いてみる。

「最近ドラコの取り巻きになったブロンドと黒髪の二人組の男の子って、誰?」
「はあ? ああ……5年生の奴らでしょ」

 私の予想に反して、パーキンソンは意外にもあっさり答えてくれた。

「ニンバス2001の件でドラコの周りには人が増えたけど、その中でもあいつらは最低よ。美味しい思いをしたいっていう下心が見え見えで、ニヤニヤニヤニヤ気持ち悪い顔でドラコにベッタリくっ付いて……顔面ぐちゃぐちゃにして溶かしてやりたいくらいだわ。この前なんて、どっちがより高価なものを貰えるか、なんてムカつく話をしていたのよ」
「あら、それならいい本を知ってるわよ。パパに言えば、ふくろう便ですぐに送ってくれるかも」
「本当? それは是非お願いしたいわね!」

 ……グリーングラスの物騒な発言は聞かなかった事にしておこう。それにしても、どっちが高価なものを貰えるか話し合うなんて――想像以上に失礼な振る舞いだ。正直、マルフォイの家柄を全面的に押し出し威張っているドラコの言動がそうさせている部分はあると思う。損得勘定で人間関係を築き上げるのも結構。しかし、陰でコソコソしているのは気に食わなかった。

 年下の男の子にこんな感情を抱くのは大人げないと思うけど……パーキンソンの話を聞いてハッキリと分かった。私は、あの二人が嫌いだ。



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