未来を知る者


 土曜日の朝。今日はいよいよ、待ちに待ったクィディッチの試合が行われる日だ。ホグワーツは熱気に包まれている。朝食の席では、グリフィンドールの選手とスリザリンの選手がそれぞれのテーブルでかたまっていた。緊張した空気が流れているグリフィンドールの選手と違って、スリザリンの選手はみんな余裕そうだ。

「ジニー、そんな顔するなよ。ハリーが負けるわけないだろ? マルフォイと違って、実力でシーカーに選ばれたんだから」

 暗い表情を浮かべたまま目の前の食事にも手を付けない妹の姿を見て、ロンが励ましの言葉を掛ける。それでもジニーの気分は晴れないのか、彼女が纏う空気はどんよりと重たいままだった。

「そんなに心配なら、ユズハに聞いてみたらどうだ?」
「ロン。いくらユズハがハリーの未来を知ってるからって、そうやってすぐに頼ろうとするのはどうかと思うわ」

 ハーマイオニーが呆れたように言う。続く小言にロンはうんざりとした顔をしていたけど、私にとっては有り難いフォローだった。頼られるのは嬉しいけど、教えることができない未来について何度も聞かれるのはやっぱり心苦しい。

 そんな二人のやり取りを聞きながら、私はこっそりジニーを観察した。顔色も少し悪いようだ。ロンは「ジニーは無類の猫好きだから気にしているんだと思う」って言ってたけど、理由はそれだけじゃないだろう。きっと、リドルの日記に魂を注ぎ込み始めているのだ。あんなに不安そうにしているのも、自分自身に起きてる異変に気付いているからなのかもしれない。いくら無自覚の行動とは言え、ハロウィンの夜の記憶が欠如していたりローブにべっとりとペンキがくっついていれば、何かがおかしいと思うはずだ。

「……私の顔に何かついてる?」

 私の視線に気付いたジニーが、困惑した表情でたずねてくる。

「ううん。顔色が悪いから、心配になっちゃって」
「ユズハってば、パーシーと同じこと言うのね」

 そう言うと、ジニーはようやく笑ってくれた。しかし、隠れ穴で見たようなキラキラとした面影はない。あの時のジニーはよく話し掛けてくれる子だったけど、塞ぎ込んでいる今では、その気配すら感じ取れなかった。

「そろそろ11時だわ。行きましょ」

 クィディッチの選手が更衣室に向かうのを見て、ハーマイオニーが席を立つ。私とロンもそれに続いた。蒸し暑く、雨でも降ってきそうな空模様の下を歩き、グリフィンドールの更衣室に向かう。表情が強ばっているハリーに「幸運を祈る」と声を掛けてから、出来るだけ眺めのいい席を陣取った。周囲を見渡すと、グリフィンドールの飾り付けをした生徒が多いようにも見える。どうやらニンバス2001の件で、スリザリンは反感を買ってしまったらしい。ハッフルパフ生もレイブンクロー生も、ほとんどがグリフィンドールを応援しているようだった。私自身、今日は100%の気持ちでグリフィンドールを応援している。競技場を占領した時、ハーマイオニーにした仕打ちを私はまだ許していない。

 選手達がグラウンドに入場した。マダム・フーチの笛が鳴り響くと、観客の歓声と共に、全員が空へと昇って行く。箒の性能には詳しくないけど、素人目から見ても、スリザリンの選手の飛びっぷりに鋭さと速さがあるのは分かった。ニンバス2001ってやっぱり凄いんだ。

「きゃあ!!」

 最先端の箒のスピードを眺めていると、背後から女の子の悲鳴が聞こえてきた。どうやらブラッジャーがハリーめがけて突進してきたらしい。何とかかわしたようだけど、ややふらついているのが見える。フレッドとジョージがブラッジャーを打ち返しているが、何度棍棒で叩いても、黒い球は真っ直ぐハリーに飛んでいった。雨が降り始めて視界が悪くなっても、ハリーを狙うブラッジャーの軌道の正確さは変わらない。

「ブラッジャーがあんな風に一人の選手を狙うなんて、ありえない」

 ロンが深刻そうに呟く。ハーマイオニーは、顔を真っ青にしてハリーを見つめていた。それでも試合は止まらず、60対0でスリザリンがリードした頃。グリフィンドール側から、タイムアウトの申請があった。マダム・フーチの笛が鳴ると、選手達が地面に降り立つ。観客席にいるスリザリン生が野次を飛ばすなか、グリフィンドールの選手達は何か話し合いを進めていた。

「誰かがあのブラッジャーに細工をしたんだ」
「でも、クィディッチに使われる道具はマダム・フーチの部屋で厳重に保管されているんでしょう? 一体誰がそんなこと……」
「それこそ、ユズハに聞くのが一番早いさ」

 今朝は「すぐに頼るな」と言っていたハーマイオニーも、ハリーを心配する気持ちには勝てないらしく、何か教えて欲しいと言うように私の顔を見た。

「大丈夫だよ。ハリーはスニッチを掴んで、スリザリンに勝つから」

 骨折はするけど。最終的には、ロックハート先生に『骨抜き』にされちゃうけど。

 再びマダム・フーチの笛が鳴り響くと、選手達がどんよりとした雲に向かって飛んで行った。激しい雨の中、ハリーはブラッジャーから逃げて行く。その飛びっぷりは凄まじいもので、ある時は輪を描き、ある時は急降下し、螺旋を描いてジグザグと回転している。そうしているうちに、多分、スニッチを見つけたのだろう。ほんの一瞬だけ、ハリーが空中で立ち止まった。その隙をついて、ブラッジャーがハリーの肘を強打する。右腕がだらりとぶら下がった。

「試合を中止するべきだわ!」
「今止めたら、没収試合でグリフィンドールの負けだ!」
「でもっ……」

 未来を知ってる私でさえ、こんなにハラハラするのだ。ハーマイオニーは気が気じゃないだろう。しかし、私達の心配なんてあの球には届かない。ブラッジャーの暴走は止まらず、今度はハリーの顔を狙っているようだった。ハリーはそれをかわして、スニッチのある場所――ドラコのもとに向かう。左手を箒から離し、何かを掴み取った。そのまま地面に突っ込んだハリーは泥の中に落ちるが、その手にはしっかりと、スニッチが握り締められていた。

「やった……やったぞ! ハリーがスニッチを取った! グリフィンドールの勝ちだ! スリザリンのヤツらめ、ざまーみろ!」
「ロン!」
「あ、いや、ユズハに言ったわけじゃないから安心してくれよ。それよりほら、ハリーのもとに行こう!」

 グラウンドに行くと、フレッドとジョージが狂ったブラッジャーを箱に押し込めようとしているのが見えた。二人がかりでも悪戦苦闘するんだから、よほどの力なのだろう。ドビーも、もうちょっと手加減してあげればいいのに。

「みんな、下がって」

 ロックハート先生が、袖をたくし上げながら言う。ハリーは先生のやる事を拒絶しているが、それを大人しく聞く人ではない。ロックハート先生が杖を振り回しハリーに向けると、彼の腕はたちまちぐにゃりと曲がってしまった。コリン・クリービーが、狂ったようにシャッターを切る。

「あっ――そう。まあね。時にはこんなことも起こりますね。でも、要するにもう骨は折れていない。それが肝心だ」

 そう言うと、ロックハート先生はあとのことをロンとハーマイオニーに任せてしまった。医務室に連れて行けばマダム・ポンフリーが何とかしてくれるだろうと、無責任なことを口走る。それなら最初からそうしておけばいいのに。分厚いゴム手袋のようなハリーの腕を見ながら、私は小さくため息をついた。

 医務室に向かう三人と別れ、体を暖めるために寮のシャワールームに向かう途中、男の怒鳴り声が聞こえてきた。声の主はマーカス・フリントだ。そばにはドラコもいる。二人とも、雨に濡れてびしょびしょだ。

「自分の頭上にあったスニッチに気が付かないなんて、何をやってるんだ!」

 どうやら先ほどの試合について、キャプテンから新人シーカーにお説教をしているらしい。珍しく、ドラコは黙ってそれを聞いていた。流石のドラコも、今回は自分のミスによるものが大きいと考えているのかもしれない。それにしても、ニンバス2001に目が眩んでドラコを持ち上げていたくせに、いざ負けるとあんな風に手のひらを返すなんて、キャプテンとしては酷い光景だ。

「シーカーとしての自覚を持て。もしまた同じような失敗をしたら――」

 フリントの声を背中で受けながら、私は足早にその場を去った。


 ***


 ホグワーツのシャワールームは、魔法で広くしているおかげもあってか、見掛けによらずそこそこ広い。どの時間帯でも混雑することなく快適に使えているが、唯一、湯船に浸かれない事だけは残念だった。やっぱりここは監督生になって、専用の豪華なお風呂に入るしかないのか――そんなことを考えながら、暖まった体で寝室に戻る。そこには、泣いているパーキンソンとそれを慰めるグリーングラスがいた。

 ……ああ、もう少しゆっくりシャワーを浴びていれば良かった。ドラコと言いパーキンソンと言い、今日はあまり見たくない場面に遭遇してしまう。

「パンジー、泣かないで。貴方のせいじゃないんだから」

 何が原因かは分からないけど、こういう時は空気になるのが一番だ。出来るだけパーキンソンを刺激しないように、私はゆっくりゆっくりベッドに向かった。

「あんなに一生懸命応援したんだから、パンジーの声はドラコに届いてたわよ」
「で、でも、負けちゃったわっ……! デビュー戦だったのに、あんな結果になっちゃって……!」
「チームメイトが悪いのよ。周りがドラコの足を引っ張ってたんだわ、きっと」

 パーキンソンの泣き声がよりいっそう大きくなる。ドラコが可哀想、宝の持ち腐れ、ニンバス2001はさっさと返すべき……など、彼女の思い思いの言葉が部屋中に響き渡った。フリントにガミガミ言われていたドラコに聞かせてあげたいくらいだ。

「どうせ貴方も笑ってたんでしょう」

 最初、この「貴方」が誰を指すのか、まったく分からなかった。しかし明らかに悪意が込められたそれは、グリーングラスに向けられたものではない。勿論、自分自身に言い聞かせているわけでもない。消去法で言えば私ということになるんだけど……。わけも分からずパーキンソンを見ると、こちらを睨む彼女と目が合った。

「笑うって……どういう意味?」
「とぼけないで! ポッターの未来を知っているオリベなら、スリザリンが負けるって知っていたんでしょう!?」

 同じようなことを、去年も言われた気がする。あれは確か……そうだ、ハリーの箒が暴れ回った試合の後だ。フリントと、当時シーカーをやっていたヒッグズに詰め寄られたんだっけ。あの時は、こんな時だけ未来を知ろうとする二人の態度に腹が立って言い返したけど、パーキンソンにはそんな気が起きなかった。むしろ、胸が痛い。

「ドラコをシーカーに迎えてから、スリザリンのチームは遅くまで練習を頑張ってたわ」

 パーキンソンの言葉は正しかった。ニンバス2001の性能を堪能するという目的もあったんだろうけど、シーカーとしてのドラコを鍛えるために、今年のスリザリンチームは確かに練習に力を入れていた。

「雨の日も、風が強い日も、遅くまでずっとずっと頑張ってたのにっ……試合結果を知ってる貴方には、何の意味もない光景に見えたんでしょうね」
「そんなことはっ」
「貴方が未来を知っている理由も、その未来を黙って受け入れている理由もどうでもいい! でもそれなら、それなら最初から黙っていれば良かったのよ! 行動を起こすつもりがないなら、誰にも何も言わず、その未来を受け入れてたらいいのに……そしたらこんな思いもしなくて済んだのにっ……!」

 何も言い返せない。ドラコ達の練習に意味がないと思っていたわけじゃないけど、そんなこと説明したって、今までの私の言動を振り返れば説得力はゼロだ。

「オリベって、確かグリフィンドールを応援してたわよね」

 パーキンソンの背中を撫でながら、グリーングラスが軽蔑した眼差しで私を見る。

「勝利を知りながら送るエールは、さぞ気持ちいいでしょうね」

 そう言うと、二人は寝室を出て行ってしまった。私と同じ空気を吸いたくなかったのかもしれない。

 扉が閉まったのを確認してから、ベッドに横たわり枕に顔をうずめる。

 こうなることはいつか覚悟していた。死んでしまう人間を救うために、道筋が大きく外れないために、なんて色々格好付けてるけど、他者から見れば私の振る舞いは無神経なのだ。傲慢とすら思う。未来を知っているとバラしたのだって、『物語の主人公』と関わりたい一心で行ったパフォーマンス。結局私は、自分の欲のためだけに未来予知を切り札にしてきたのだ。

 ――こんな思いもしなくて済んだのにっ……!

 何度忘れようと思っても、パーキンソンの泣き顔と言葉が、頭にこびりついて離れなかった。



PREVBACKNEXT