一悶着


 コリン・クリービーの熱狂具合は、想像以上のものだった。朝食を食べている時、廊下を歩いている時、庭で休憩している時。どんな時だって私を見つけ出し、シャッターチャンスを逃すまいとカメラを向けてくる。目をキラキラさせながら近寄ってくるコリンは可愛いし、最初はセレブになったようでいい気分にもなったが、これが二日も続くと流石に精神的に限界がきてしまい、とうとう校内をコソコソ歩き回るようになってしまった。いつどこで写真に撮られるか分からないという状況は、思ったよりも気が抜けないのだ。

「ファンが出来てよかったじゃないか」

 薬草学の授業中。マンドレイクの危険性についてスプラウト先生が話していると、ドラコがニヤニヤと笑いながら声を掛けてきた。何だかとっても嬉しそうだ。きっと、今日一日コリンから逃げ回る私の様子を面白おかしく見ていたに違いない。

「これで君も有名人の仲間入りというわけだ」
「おかげでハリーの気持ちが分かった気がするわ」

 たった一人の少年にすら精神力を削られるんだから、大勢から注目される機会の多いハリーなんかもっと大変だろう。例えそれが好意的な目だったとしても、だ。未来を知っていると公言したことを、今は少しだけ後悔している。

「寮が違ってもこの脅威の遭遇率なんだから、コリンの行動力には驚かされるよ。昨日なんか、地下牢でずっと私を待ってたみたいだし……」

 スリザリンの談話室に続く扉は石壁の中に隠されているため、合言葉も知らない他寮の生徒が存在を知ることなんてほとんどない。多分コリンも詳しい場所は特定できず、地下牢のどこかにあるという不確かな情報だけを頼りに地下牢をうろうろしていたのだろう。けれど、消灯時間ギリギリになってもそんなところを歩き回るグリフィンドール生なんて悪目立ちしすぎる。結果、スリザリンの上級生に見つかって追い出されたと聞いたが……。「カメラ小僧があなたを探してたわよ」ってパーキンソンに笑われた時は、何だかいたたまれない気持ちになった。

「そう言えば、フリント達が騒いでたな。グリフィンドールがスパイを送り込んできたとかって……」
「スパイって、クィディッチの?」
「ああ。まあ、仮にあのチビが本当にスパイだったとしても、グリフィンドールに勝ち目はない――優勝杯はスリザリンのものだ」

 何か勝算があるのか、誇らしげに言うその顔はなぜか自信に満ち溢れている。

「ニンバス2001があるから?」

 心当たりをたずねると、ドラコの口端がピクリと動いた。元々『未来予知』に対して初々しい態度を見せてくれるタイプではなかったけど、2年目となるともう慣れてしまったのか、どうして知っているんだ、なんて驚いた表情は見せてくれない。代わりに、眉を顰められた。

「君なら知っているとは思ったが……こうも筒抜けだと腹が立ってくるな」
「ついでに、ドラコがシーカーになったってことも知ってるよ。おめでとう」

 もう少しちゃんとお祝いを言いたかったけど、スプラウト先生が出した指示によって会話は中断されてしまった。耳当て必須のこの授業で無理に話を続ける自信もなく、私は先生の指示通り耳当てをつける。

 生徒がみんな耳当てをしたのを確認すると、スプラウト先生はふさふさの植物を一本掴み、ぐいっと一気に引き抜いた。泥にまみれた小さな赤ん坊のような生物が、土の中から現れる。肌はまだらな薄緑色で、なんと言うか……ややグロテスクだ。

 その生物をスプラウト先生は慣れた手つきで鉢の中に入れ、黒い堆肥で埋め込んでいく。お手本を見たあとは私達が植え換えをする番だったけど、これが意外に難しく、どの生徒もマンドレイクにはかなり手こずっていた。そもそも、このマンドレイク達は土の中から出るのを嫌がり、出せたと思っても鉢に入るのを拒絶して暴れ回るのだ。授業が終わる頃には服もすっかり泥まみれで、みんなクタクタになっていた。それなのに――

「わあユズハ! こんにちは!」

 タイミング悪く、玄関ホールでコリンに会ってしまった。魔法薬学の授業を終えたばかりなのか、地下牢から出てきたコリンは私を見るなりグリフィンドール生の列から離れ、こちらに駆け寄ってくる。流石にカメラは持っていないようだけど、ちょっと身構えてしまう。

「こんにちは、コリン」
「丁度よかった。ユズハに渡したいものがあって……」

 コリンは目を輝かせながらローブのポケットをゴソゴソと漁りだし、そこから一枚の紙切れを取り出した。
 写真だ。白黒の世界で、私がこちらに向かって手を振っているのが見える。

「今朝現像したんです。よかったらどうぞ」
「あ、ありがとう……」

 拍子抜けだった。好奇心旺盛なコリンの事だから、正直何か色々質問されるんじゃないかと思ってたけど、まさか撮った写真をくれるなんて……。

「今度また写真を撮らせてくださいね!」

 用件は本当にそれだけだったようで、私が写真を受け取ると、コリンは友達のもとへと戻っていった。何だか、必要以上に身構えてしまった自分が恥ずかしい……。そもそもコリンは純粋に写真を撮りたかっただけなのに、少し過剰だからと言って年下の男の子から逃げ回るなんて、大人気ない対応をしてしちゃったなぁ。

 昨日からの態度を反省しながら視線を落とすと、写真の中の私と目が合った。もっと動き回ってもいいのに、魔法使いのカメラで撮られるなんて初めての体験だったから、動きがとってもぎこちない。

 ちょっとだけ、ロックハート先生の立ち居振る舞いを見習ってもいいかもしれないと思った。

 
 ***
 

 土曜日の朝。この日、シオンが初めて私に手紙を届けてくれた。もっと素っ気ない配達かと思っていたけど、テーブルにうまく着地して嘴から手紙を渡すという丁寧な仕事振りだ。難しい性格ではあるけど、プロ意識は高いらしい。

 封筒や手紙に差出人の名前は書かれていなかったけど、文章を読めばすぐに分かった。
 
 
ミス・オリベ


毎週日曜日、夕方6時に我輩の研究室にて。

明日から行う。

 

「明日!?」

 突然のことに、思わず声が出る。周りの生徒が何事かと一瞬私を見たけど、そんなことより週末の過ごし方の方が気になるのか、視線はすぐに逸れた。

 確かに、レッスンを受けるなら早い方がいい。閉心術を習得したいと申し出たのは私だし、スネイプ先生の都合に合わせるべきだとは思うけど――それにしても急すぎないだろうか。……いや、グチグチ言うのはやめよう。予定は何も無いんだし、教えてもらえるだけありがたい。

「おはよう、ユズハ」

 手紙を折りたたんでいると、ロンとハーマイオニーが朝食を食べに大広間へやってきた。ハーマイオニーだけならまだしも、休日のこんな朝早くにロンがいるのは珍しい。

「おはよう、ロン、ハーマイオニー。珍しいね、ロンが早起きなんて」
「ハリーのメモがあったんだ。競技場でクィディッチの練習をするって」
「だから私達、それを見に行こうと思って。ユズハも一緒に来る?」
「行く!」

 クィディッチを観戦するは好きだ。それが例え練習であっても、クィディッチ狂のオリバー・ウッドが率いるチームなら熱量も凄いはず。私達はテーブルに並んだトーストを何枚か持ち出すと、クィディッチの競技場へ足を向けた。

 試合開始日にはいつも混んでいる道も、今日は閑散としていて通り抜けやすい。朝露で濡れた芝生を横切り斜面を下りると、競技場へはあっという間に到着した。

「まだ始まってないのかしら」

 スタンドの一番見やすい席に座りながら、誰もいない競技場を見下ろしてハーマイオニーが言う。

「ハリーが出て行った時間を考えたら『始まってない』なんてありえない。もしかしたらもう終わって――」
「あ、出てきたわ!」

 ロンの言葉を遮ると、ハーマイオニーは競技場を指さして叫んだ。どうやら正しいのはハーマイオニーの方で、練習は本当に始まっていなかったようだ。もうすっかり日は昇っていると言うのに、ロンは信じられないという顔でピッチを歩くハリーを見つめていた。

「フレッド達が言ってた。ウッドは今年の練習を今まで以上に厳しくするつもりだって。去年のシーズン最後の試合が相当悔しかったらしい」
「賢者の石のことがなければ、グリフィンドールが優勝してたもんね」

 原作で起こらなかったことを私が知る由なんてないけれど、ハリーのクィディッチの才能はそれくらい群を抜いて凄かった。なんて、ドラコ辺りが聞いたらカンカンに怒るんだろうなぁ。

「結局、ユズハはどっちのチームを応援してるんだ?」
「スリザリン」

 げっ、とロンの表情が歪んだ。

「もしかして、今日ここに来たのもスリザリンに戦略をもらすためなんじゃ……」
「ひ、ひどい! いくらなんでも友達を裏切るようなことまでしないよ!」
「だって君、応援してるのはスリザリンだって言ったじゃないか」
「友達としてはハリーを応援してるけど、ホグワーツ生としてはスリザリンを応援してるの。複雑な立ち位置なの」
「……つくづく思うけど、どうしてユズハはスリザリンに選ばれたんだ?」

 ジニーも同じこと聞いてきたっけ。
 選んだ理由なんて帽子にしか分からない。ハリーのように悩みに悩んで、結果ハリーがそう望んだからグリフィンドールになりました――みたいな理由もなく、椅子に座ってから一秒も満たないうちに私の組分けは終わってしまったんだから。

「ねぇ、見て。何だかハリー達の様子がおかしいわ」

 私達の戯れは、ハーマイオニーの不安げな声によって中断された。気が付くと、先ほどまで空をビュンビュン飛んでいた選手達は全員ピッチに降り立っており、誰一人練習に参加していない状態だ。

「確かに……」

 何が起こっているのか、目を凝らして確認してみる。芝生には霧が漂っていてはっきりとは分からないが、赤いローブに混じって緑色のローブを着た選手達が立っているのが見えた。

「スリザリンだ!」

 ロンとハーマイオニーが立ち上がり、大急ぎでスタンドを降りていく。私もその後を着いて行きながら、原作の時系列を頭の中で追った。

 ――そうか、そうだった。すっかり忘れていたけど、今日が『あの日』だったんだ。

 私としたことが。あれだけ何度も何度も読んでいたはずなのに。秘密の部屋でこんなに記憶が曖昧になっていては、アズカバン以降が心配になる。あとでメモに書いて整理しておこうかな。

「おい、見ろよ。ピッチ乱入だ!」

 ピッチに降り立ちロンとハーマイオニーと一緒に選手達のもとへ駆け寄ると、フリントがニヤニヤ笑いながら大声を上げた。大きな身体の上級生達に混じって、クィディッチ・ローブを着たドラコもそばに立っている。

「どうしたんだい? どうして練習しないんだよ。それにあいつ、こんなとこで何してるんだい?」

 ピカピカの箒を自慢げに持つドラコを睨みながら、ロンが不思議そうにたずねる。

「ウィーズリー、僕はスリザリンの新しいシーカーだ。僕の父上がチーム全員に買ってあげた箒を、みんなで賞賛していたところだよ」

 私達に見せつけるように、スリザリンの選手は自分達が持っている箒を突き出してきた。『ニンバス2001』という美しい金文字が、箒の柄に刻まれているのが見える。

「知ってたの?」
「ハリーに関することだから、一応は」
「グリフィンドール・チームも資金集めして新しい箒を買えばいい。クリーン・スイープ5号を慈善事業の競売にかければ、博物館が買いを入れるだろうよ」

 スリザリン・チームのみんながどっと笑った。フレッドとジョージは今にも襲い掛かりそうな勢いだ。確か二人は、このクリーン・スイープ5号を使ってるんだっけ。ああもう、こういう知識は覚えているのに、肝心の時系列を忘れるなんて本当に間抜けだ。

「少なくとも、グリフィンドールの選手は誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ」

 真っ先に反論したのはハーマイオニーだった。

「こっちは純粋に才能で選手になったのよ」

 スリザリン・チームの手にある箒を睨みつけ、毅然とした態度できっぱり言う。あまりにハッキリとした口調だったからか、ドラコの自慢げな顔は一瞬崩れたが、それもすぐに持ち返す。

「誰もお前の意見なんか求めてない。生まれ損ないの穢れた血め」

 吐き捨てるように言われた言葉。途端、グリフィンドール・チームからは非難の声があがった。フレッドとジョージはいよいよドラコに飛びかかろうとしたし、あまりに酷い言葉にショックを受けている選手もいる。

「マルフォイ、思い知れ!」

 ロンはローブに手を突っ込むと、ポケットから杖を取り出した。

「あ、ダメ、ロン!」

 思わず止めてしまったが、私の声はバーンという大きな音にかき消され、結局事故は起きてしまった。杖の反対側から飛び出した緑の閃光はロンの胃のあたりを直撃し、呪文を受けた彼はよろめいて芝生の上に尻もちをついてしまう。ハーマイオニーが悲鳴を上げながら心配そうにロンに駆け寄ったが、ロンから返事をもらうことはできなかった。どうやら声がうまく出ないらしい。代わりに、口を開けて出てきたのはとてつもないゲップが一回とナメクジ数匹。ヌメヌメとしたナメクジが口から膝の上に落ちていく光景は、思わず目を覆いたくなるくらい悲惨だった。しかし、スリザリン・チームにとってはそうでもないらしい。

「見ろよ、あの姿!」

 フリントは新品の箒にすがって笑い、ドラコも四つん這いになって拳で地面を叩きながら笑っていた。いつもは父上がうんたらかんたら母上がうんたらかんたらって言ってるくせに、ルシウスさんもナルシッサさんも驚愕の品性である。

「ハグリッドのところに連れて行こう。一番近いし」

 ハリーとハーマイオニーはロンを助け起こすと、競技場を出て行った。その姿を、グリフィンドール・チーム――特にフレッドとジョージ――は心配そうに見つめている。

「なあ、ロンは大丈夫なんだよな?」
「うん。しばらくしたら治るよ」

 その言葉に少しは安心してくれたのか、双子の表情から緊張感が抜けた。しかしスリザリン・チームに抱いている怒りがおさまったわけではないため、顔つきは厳しいままだ。それは他のグリフィンドール生も一緒で、涙を浮かべて笑い転げているスリザリンに対して、グリフィンドール・チームのみんなは怒りに燃えていた。

「――今回は僕達が引こう」
「オリバー!?」

 唯一、オリバー・ウッドだけは冷静だった。いや、もしかしたら物凄く怒っているのかもしれないけど、表面上は一番落ち着いて見える。

「スネイプ教授からの許可証があるなら仕方ない。それに、ハリーが抜けたんじゃ完璧な練習はできないだろう」
「けど……」
「試合前に問題を起こせば出場すら危ぶまれる。練習は延期、これはキャプテン命令だ」

 誰一人として納得はいってないようだったが、ウッドの言う通り、問題を起こすのだけはまずい。それこそスリザリンの思うつぼだ。
 それはみんなが理解しているらしく、キャプテン命令だと告げたウッドに反発する者はもういなかった。

「おっと、こっちの穢れた血も連れて行けよ」
「っ!!」

 フリントに思い切り背中を押され、足がよろめく。フレッドとジョージが受け止めてくれなかったら、地面を這うナメクジ達にダイブしていたかもしれない。

「この裏切り者には俺達の戦略をバラされる可能性もあるからな」
「フリント、いい加減にしろよ!」

 フレッドかジョージ――どちらかまだ判別できないのが申し訳ない――が、一歩前に出てフリントを怒鳴りつけた。ああダメだ。せっかくウッドが引き下がったのに、このままでは喧嘩になってしまう。

「ありがとう。でも、大丈夫だから。構わず行こう」

 本当は背中が痛くてめちゃくちゃムカつくけど、もっと手加減にしろって言いたいけど、何ならドラコじゃなくてこの男にナメクジを食らわせたいけど、ウッドの行為を無駄にしないためにも我慢だ、我慢。

「みんな、スリザリンには絶対勝ってね!」

 更衣室に向かう選手達の背中にエールを送り、私は競技場をあとにした。

 ホグワーツ生としてはスリザリンを応援してるってロンには言ったけど……あの言葉は撤回だ。今回だけは、例え勝つと分かっていても、グリフィンドールを全力で応援しよう。



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