ふくろう小屋にて


 コリンが襲われ石になったというニュースは、月曜の朝には学校中に広まっていた。去年の今頃は、クリスマス休暇に向けてみんな楽しそうにしていたのに……不安と恐怖に包まれた生徒達の顔に笑顔は見えない。本当に元に戻るのか、次に襲われるのは誰なのか、みんな疑心暗鬼になっている。

 1年生はグループになってお城の中を移動するようになり、そのうち胡散臭い魔除けのお守りや護身用グッズの取引も流行りだした。紫の水晶、腐ったイモリの尻尾、異臭を放つ葉っぱ、ぐにゃぐにゃの文字が書かれたお守りなど、効果が定かではないものがそこそこの値段で売買されている。おかげで談話室はオカルトじみたグッズでいっぱいだ。監督生も一応は取り締まっているようだが、これで少しでも恐怖が和らぐならと、見過ごす場面も多くあった。

「ホグワーツはどこよりも安全だってママが言ってたのに……」
「大丈夫よ。ダンブルドア先生が全て解決してくれるはずだから」

 廊下ですれ違った1年生の少女達から聞こえる、不安げな声。今ではこんな会話が城のあちこちで繰り広げられていた。なかには「貴方は両親が魔法使いなんだから平気よ」と言う子までいる。マグル生まれだとか純血だとか、そんなの一部の人間しか気にしていなかったのに、この異様な状況ではそれが安心材料の一つとなってしまうのだ。それだけではない。あの子はマグル生まれだから一緒にいたら危ない、という嫌な空気まで出来上がってしまった。見ていて気持ちのいいものではないけれど、そうなるのも無理はないと思う。誰だって、自分の身は守りたいのだ。

 12月の2週目に入ると、スネイプ先生がクリスマス休暇中に学校に残る生徒の名前を調べにきた。と言っても、名簿に名前を書いているのはほんの数人だ。 去年よりもずっと少ない。帰る家がない私はここに名前を書くしかなかったけど、スリザリンからは私の他に、ドラコ、クラッブ、ゴイルの三人がリストに名前を連ねていた。きっと、『純血』である自分が襲われることはないのだと、確信しているのだ。

「ポッターに付き纏っていた1年生が襲われたのは見物だな。今度見舞いにでも行ってみるか?」

 木曜日の午後。魔法薬の授業に向かう途中、ドラコが楽しそうな口振りで話し掛けてきた。グリフィンドール生のお見舞いなんて普段なら絶対にしない彼がこんな事を言うのは、石になったコリンがハリーの大ファンだからだろう。このニュースを知り戦々恐々とする生徒が多いなか、ドラコだけは面白いと言わんばかりに目を輝かせている。

「面会謝絶なのに、どうやってお見舞いに行くつもり?」
「そんな顔するな。軽いジョークだ」

 ちっとも笑えないけど、クラッブとゴイルは「はははっ」とわざとらしい声を上げてドラコの調子に合わせていた。それに満足したドラコはズンズンと先を歩き、魔法薬の教室に入って行く。私もあとに続いて教室に入ると、何とも言えない匂いが鼻をかすめた。魔法薬のクラスは常に薬品の匂いで充満しているけど、今日は一段と凄い。

「今日は膨れ薬を調合する」

 グリフィンドールとスリザリンの生徒が揃ったのを確認すると、スネイプ先生は授業の開始と共に薬の説明を始めた。材料の入った瓶を見ながら、その言葉をじっくり聞く。ふと、フグの目玉と目が合った。よく虚ろな人間の目を「死んだ魚のような目」と例えることがあるけど、言い得て妙かもしれない。

 調合が始まると、あちこちの大鍋から煙が上がり始めた。スネイプ先生はその中を歩き回り、生徒達の作業を観察している。スリザリン生――特にドラコの手際は褒めるけど、グリフィンドール生には意地の悪い批評を繰り返していた。こういう時、自分がスリザリンで良かったと思う。「手を動かす前に我輩の説明を理解する努力をしたまえ」とか「数も数えられないとは、何とも嘆かわしい」とか、あんなことを言われながら薬を作るなんて、絶対に耐えられない。

 自分がグリフィンドール生になった時の想像をしながら大鍋に水を入れて丁寧にかき混ぜていると、ロンとハリーにフグの目玉を投げつけているドラコの姿が見えた。勿論、スネイプ先生は見て見ぬふりだ。注意なんてするわけもなく、ハリーの鍋を覗き込み、薬が薄すぎると嘲っている。それに合わせて、ドラコもけらけら笑っていた。

 しかし言われた本人は気にする様子もなく、スネイプ先生がネビルの元に向かったのを確認したあと、何やらハーマイオニーとアイコンタクトを取っているようだった。一体どうしたんだろう。手を止めて、落ち着きのないハリーをじっと見てみる。しかし――

「オリベ。そのスプーン、使わないなら貸して頂戴」
「えっ。ああ、はい、どうぞ」

 フィンフィールドに話し掛けられ一瞬目を離した隙に、ハリーの姿は見えなくなってしまった。ほんの数秒視線を外しただけなのに……不思議に思っていると、すぐ後ろから大きな爆発音が鳴り響く。それと同時に、教室中に水滴が降り注いだ。

「雨?」

 それが「膨れ薬」の飛沫だと気付いたのは、雫を受け止めた手のひらが、どんどん膨れ始めた時だった。同じように薬を浴びた生徒は、パニックになって右往左往している。腕が棍棒のようになっている子、唇が巨大に膨れ上がっている子、頭の一部がこぶのように盛り上がっている子と、被害は様々だ。まともに浴びたゴイルの両目は大皿のように大きくて、ドラコの鼻も小さなメロンほどになっていた。

「何なのよ、これ!!」
「ゴイルの大鍋が爆発したんだわ!」
「静まれ! 静まらんか!」

 女生徒達のブーイングや悲鳴の中に、スネイプ先生の怒号が混ざる。

「薬を浴びた者は『ぺしゃんこ薬』をやるからここへ来い。誰の仕業か判明した暁には……」

 最後まで言い終わらないうちに、ドラコが急いで進み出た。それを見た他の生徒も、我先にとスネイプ先生の机の前に並び始める。少し出遅れた私は最後尾で順番を待ちながら、風船のように膨らんだ右手を見つめた。これで人を殴ったらとんでもない威力を発揮しそうだ。

「――さて、諸君」

 解毒剤がみんなに行き渡り、色んな「膨れ」が収まった頃。ゴイルの大鍋の底から黒焦げの縮れた花火の燃えカスをすくい上げたスネイプ先生は、生徒達――と言うより、ハリーの顔――を見ながら、低く唸る声でこう告げた。

「これを投げ入れた者が誰かわかった暁には、我輩が、間違いなくそやつを退学にさせてやる」

 重たい空気に包まれる。
 ただでさえひんやりとした教室が、更に冷たくなった気がした。

 終業のベルが鳴ったのは、それから十分後のことだった。ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人が、逃げるように教室を出て行くのが見える。きっと、3階の女子トイレに向かっているのだろう。この時期はポリジュース薬作りに専念していたはずだし、今日の爆発事件も、その材料を盗み出すために起こした騒ぎに違いない。

「スネイプ先生! ちょっと宜しいでしょうか?」

 みんなに続いて教室を出ようとした時、派手なローブを靡かせながら意気揚々とした表情を浮かべるロックハート先生とすれ違った。

「先程、ダンブルドア校長から許可をいただいたんですよ。決闘クラブの開催を」

 気になるワードに足が止まる。盗み聞きなんてはしたないと思ったけど、好奇心には勝てない。心の中で謝罪をしつつ、二人からは見えないよう、扉の陰に隠れて様子をうかがった。

「それはそれは、何も知らない生徒はさぞお喜びになられることでしょうな」

『何も知らない生徒』をやけに強調し、スネイプ先生は嘲笑った。生徒に対してもロックハート先生に対しても棘のある言葉だったけど、当の本人は気にしていないようだ。むしろ、『喜ばれる』と聞いて自慢げな顔を見せている。

「ええ、ええ、ホグワーツに通う生徒は実に幸運ですよ。私が持つ経験と知識を、私から教わることが出来るのですから」
「それで。その決闘クラブの開催と我輩に、何の関係が?」
「ああ、そうでした――スネイプ先生。貴方は毎年、闇の魔術に対する防衛術の担当を熱心に希望しているとか」

 秒で地雷を踏み抜くロックハート先生。スネイプ先生の眉に深い皺が刻まれた。

「ならば、身を護る手段もいくつかご存知のはず。当日はお手本として、生徒達に模範演技を披露する予定でしてね。そこで私のお相手をお願い出来ませんか?」

 スネイプ先生から断られる可能性なんて、微塵も考えていないのだろう。ロックハート先生はきらきらと顔を輝かせ、いい案だと言わんばかりの声色で話を続けた。

「決闘と言っても、ちょっとした手合わせですから。スネイプ先生の無事は私が保証しましょう」

 見当違いの気遣いに、スネイプ先生がふんと鼻で笑う。

「心配は無用。生徒達のためにも、ロックハート先生の実力は存分に見せ付けるべきだと我輩は考えますぞ」
「おやおや、スネイプ先生はなかなかに過激でいらっしゃる!」

 あんなスネイプ先生を目の前にしても立ち居振る舞いを崩さないロックハート先生は、ある意味最強なのではないだろうか。他人の手柄を奪って経歴を偽るという行為は許されないものだけど、あのメンタルは素直に尊敬する。

「名案だとは思いますが、難易度の高い呪文を見せて生徒達を萎縮させては模範演技になりませんからね。それはまた別の機会に。今回はあくまで、彼らの力量に合わせた実用的な防衛魔法を教えるということに致しましょう――開催は一週間後。頼りにしていますよ、スネイプ先生」

 ウィンクをしながらそう言うと、ロックハート先生はローブを翻し教室を出て行こうとした。まずい、このままでは盗み聞きしていたのがバレてしまう。急いで扉から離れ、地下牢の廊下を曲がり、身を潜める。息を押し殺し、リズミカルな足音が離れていくのを待った。

「……ふぅ。危なかった」

 どうやら、うまく隠れられたようだ。辺りを見回し誰もいない事を確認してから、私は足早にその場を去る。ロックハート先生に見つかるのはいいけれど、スネイプ先生に盗み聞きのことが知られたら何を言われるか……いや、言われるならまだいい。無言の圧を掛けられ睨まれるのが一番怖い。スネイプ先生のその顔を想像するだけでも、背筋がゾッとした。


 ***


「おいで、シオン。おやつだよ」

 ホグワーツのふくろう小屋は、西塔のてっぺんにある。小屋は円筒形の石造りになっていて、窓にはガラスがはめられていないため、冬場はかなり寒い。生徒達のふくろうも普段はここで寝泊まりしているのだが、整った飼育環境とは言えなかった。床には藁や糞が散らばっているし、ふくろうが吐き出したネズミの骨があちこちに埋められていて、強烈な匂いを放っている。こんな場所じゃ、ただでさえ気難しいシオンが塞ぎ込むのも無理はなかった。

「ほら、そんな顔しないで。せっかくの格好いい顔が台無しだよ」

 指で挟んだおやつを見せても、シオンはぴくりとも動かない。窓の外に顔を向けて、じっとしているだけだった。いつもの事だけど、心を開いてくれないのは少し寂しい。

「君は未来予知だけじゃなくて、ふくろうとも会話が出来るの?」

 突然、後ろから声を掛けられた。びっくりして、持っていたおやつを一つ、床に落としてしまう。

「また驚かせちゃったかな」

 振り返るとそこには、申し訳なさそうな顔をしているセドリックが立っていた。手には茶色い封筒を持っていて、それを見たふくろう達がアピールするように羽を広げている。まるで、自分が手紙を運ぶのだと言わんばかりだ。

「僕達最近よく会うね」
「そ、そうだね」

 セドリックの言葉に緊張が走る。こんな場面、彼に思いを寄せる女の子に聞かれたらどうなるか……セドリックと交流できるのは素直に嬉しいけど、図書室で向けられたあの鋭い視線を思い出すと、手放しには喜べない自分がいた。念のため、辺りを見回してみる――……良かった。あの時みたいに女の子達が遠くから見ている、なんてことはなさそうだ。

「どうかした?」
「ううん、なんでもない。それより、私が未来予知できるって、いつ知ったの?」

 視線の件は伏せたまま、気になったことを聞いてみる。近くにいたふくろうに封筒を渡しているセドリックは、その問い掛けに「ああ」と答えた。

「あの日、図書室で君と別れてすぐだよ。同じ寮の女の子が教えてくれたんだ。あの子はハリー・ポッターの未来を知っているらしいって」
「信じた?」
「うーん……君が嘘をついているようには見えないけど、半信半疑ではあるかな」

 真っ向から私を否定するわけでもなく、かと言って自分自身の考えに嘘をつくわけでもない、優しくて正直な、セドリックらしい回答だと思った。

 彼から荷物を受け取ったふくろうが、誇らしげに飛んで行く。飛び立った拍子に羽が数枚抜け落ちて、小屋の中をひらひらと舞った。汚れと匂いさえ気にならなければ、まるで映画のようなワンシーンだ。

 あっという間に空の彼方へと消えていったふくろうの姿を見届けたあと、セドリックは私と向き合う。

「その子は君のふくろう?」
「うん。シオンって言うの。この場所が気に入ってないみたいで、今はちょっとご機嫌ななめみたいなんだけど……」
「無理もないよ。ホグワーツの屋敷しもべ妖精も、ここにはあまり訪れないみたいだから」

 そう言うと、セドリックはローブのポケットから杖を取り出した。

「スコージファイ! 清めよ!」

 呪文を唱えて杖を振る。すると、床に散らばっていた藁や糞が綺麗さっぱりなくなった。小さなネズミの骨さえ見当たらない。こびりついた匂いはまだ残っている気がするけど、さっきよりもずっとマシな環境になったのは明らかだった。実用的な魔法に、思わず拍手を送りたくなる。小説を読んでいる時はそこまで気にしていなかったけど、こうして目の当たりにすると、日常では一番役に立つ呪文かもしれないとさえ思った。

「これで君のふくろうも少しは機嫌を良くしてくれるかな」

 セドリックの声に、シオンがこちらをちらりと見る。綺麗になった床を隅々まで確認しているが、険しい目つきはそのままで、そのあとはまたそっぽを向いてしまった。どうやらお気に召さなかったらしい。……誰が悪いとかそういうわけじゃないんだけど、何だか気まずい。

「ご、ごめんね。多分、あんまり遠くに行けてないのも原因なんだと思う」

 下手なフォローに聞こえるかもしれないが、決して嘘というわけでもなかった。ホグワーツに来てから、シオンが手紙を配達したのはたったの一回。それも、スネイプ先生から私宛という近場でのやり取りだ。他のふくろうは各地を行ったり来たりして文字通り羽を伸ばしているのに、自分はホグワーツの敷地内しか移動していないのでは鬱憤も溜まるだろう。私がシオンの立場でも、そう簡単にご機嫌にはなったりしないと思う。

「手紙を送ったりしないの?」
「相手がいないの」

 私の言葉で何かを察したのか、セドリックの表情が僅かに曇る。反応的に、家庭環境が複雑だと思われたのかもしれない。彼が想像する私は、身寄りがないのか、家族仲が悪いのか――どちらにしても、「トリップしてきました。こっちに家族はいません」なんて言えるわけもないから、誤解を解くつもりはないけれど。

「えっと――それならこれをあげるよ。良かったら使って」

 少し考えたあと、セドリックが小さな冊子を差し出してきた。「メリークリスマス」と書かれたクリーム色の表紙には金色のインクがキラキラと輝いていて、とても綺麗だ。下の方では黒い影の子供達が忙しなく動いている。雪遊びでもしているのだろうか、時折真っ白な粉がその子達から舞い上がった。

「クリスマス用のカタログなんだ。これならクリスマスショッピングも出来るしふくろうも遠くまで行けるから、丁度いいかなと思って。ふくろう通信販売は使ったことある?」
「うん。去年のクリスマスに、一度だけ」

 セドリックの質問に答えながら、冊子を受け取る。パラパラと中身を捲ると、クリスマスに相応しい商品が目に飛び込んできた。弾けるオーナメント、踊るツリー、歌う雪だるまなどの装飾品は見ているだけでも楽しいし、「パーティーのお供に」というメッセージが添えられたドレスや化粧品には心が躍る。魔法界の写真は動くのが当たり前だから、モデルの躍動感も凄かった。

「これ、貰ってもいいの?」
「もちろん。僕はもう目を通しちゃったし、欲しい物があっても次のホグズミード行きで買えるから」

 それならと、私はありがたくカタログを譲り受けることにした。シオンに配達のお願いが出来てクリスマスプレゼント選びの幅も広がるなんて、正に一石二鳥だ。

「ありがとう、セドリック! 寮に戻って早速見てみるね」

 ふくろう小屋を出て、西塔の長い階段を一気にかけ下りる。頭の中は、クリスマスプレゼントを贈る人達のことでいっぱいだった。お世話になっているダンブルドア先生やスネイプ先生。ハリーやロンやハーマイオニー。去年はぴったりな物が見つからずカードのみになってしまったけど、豊富な商品を取り扱っているこのカタログならドラコに相応しいプレゼントが見つかるかもしれないし、セドリックにもお礼を兼ねた贈り物をしたい。ああ、そうだ。ジニーのことも忘れちゃいけない。秘密の部屋のことですっかり元気を失ったジニーが少しでも笑顔になれるよう、素敵なプレゼントを選ばなくちゃ。

 クリスマスは、もうすぐそこまで来ている。



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